変容する家 | 東アジア文化都市2018金沢

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STORY

金澤町家の成り立ちと特徴

金澤町家の保存や改修に取り組む武藤清秀さんにお話を伺いました。


金沢の町家の建物は、当時の町家で現存するものが少ないので推測ですが、藩政期とほぼ同時に広まり、初期は北陸道あたりの街道筋の両側に軒を接して出来ていったと考えられます。

町家は商職人の住宅で、前方に店、奥や上階に居室があります。商売の業態や生活の変化に応じて、あるいは火事や大雪などの被害を受けて、その都度建て替えていたのでしょう。建設時期は、江戸から昭和の戦前まで、どんなに新しくても昭和10年代はじめ頃までだと思います。昭和12年からの日中戦争、続く太平洋戦争で、国が木造建物の建築を統制したためです。

金澤町家の特徴的な意匠のひとつは、「サガリ」がついていること。雨が多いのでガラスが普及する前は障子を守るためにも必要だったのではないでしょうか。一般的な京町家ではあまり見られません。

時代と仕様

野町の旧森紙店は、江戸後期頃の町家と推定される板葺石置屋根が残っています。明治の頃の金沢の写真を見ると、石置屋根が多いです。瓦の普及は西の方、京都などは比較的早かったのですが、江戸で普及するのは江戸中期以降です。江戸時代には家作制限令があり、身分によって建物の高さや材料等が限られていました。軒高が低い家はおおよそ古く、大正期頃から高さが出てきます。木材も貴重なケヤキなどは使えず、庶民の家に使われているのは明治以降です。大きさでは御用商人が住んでいた尾張町あたりの町家が一番大きいですね。

金澤町家のこれから

町家は都市住宅としてある程度完成されたもので、それに代わる様式は未だにありません。家は個人の所有物である一方、都市の景観をつくるものです。ヨーロッパの古都のように、調和のとれた建物が並んでいると美しいですよね。町家は優秀な職人が伝統的な工法、素材で建てた価値のある建物です。現存する町家の所有者の方にはその価値を知ってもらい、環境の変化に合わせた手入れをして、次の世代につなげていってもらいたいですね。

むとう設計有限会社
武藤清秀
歴史的建造物修復士/NPO法人 金澤町家研究会。
町家に関するさまざまな相談を受け付けている。