変容する家 | 東アジア文化都市2018金沢

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STORY

落雁 諸江屋6代目にきく金沢の和菓子

茶の湯の文化が息づくまちで、加賀藩政期からの菓子文化や歴史を研究し、菓子文庫や図案帳の編纂も手がける諸江吉太郎さんにお話を伺いました。


──金沢の和菓子の特徴とはなんでしょうか

金沢の菓子は砂糖が多く入っています。金沢は雨量が豊富で、用水もまちに走り、湿度が非常に高い。つまり菓子が痛みやすい。砂糖が多ければ防腐剤のようになります。必然的にそうなったのでしょうね。もうひとつは、季節感を非常に大事にすること。近頃は年柄年中、栗の菓子を売るなど薄れてきておりますが、本来は春夏秋冬の菓子をご愛顧いただくことを大切にしてきた。それが特徴であると考えます。

「福梅」写真提供:株式会社落雁諸江屋

──金沢の和菓子をひとつご紹介ください。

金沢を代表する正月菓子に福梅(ふくうめ)があります。梅花を象った紅白のせんべい種に飴を加えた粒餡を詰めた最中で、表面に砂糖がまぶしてあります。明治4年、最後の加賀藩主14代慶寧公が、蓮池庭を兼六園と改めて四民への開放鑑賞を許された際の祝菓子として創案されました。その後廃藩置県によって御役御免になった金沢城台所方の一部が菓子屋に転身し、市中に広まったようです。意匠は、前田家の剣梅鉢になぞらえたとされがちですが、藩主の家紋形の菓子を口にするとは考え難い。ルーツは京都の禁裏御用 川端道喜の餅菓子「寒紅梅」と考えられます。「寒紅梅」は禁裏より北野天満宮への献饌や茶道千家より京都の加賀藩邸への挨拶に届けられていたものです。
福梅の食べ方は、つぶして餡と皮をなじませます。むかしは餡の少ないものもあったので、美味しくいただくための知恵ですね。食べきれないときは、まとめて善哉にするのも金沢の流儀です。

──60年以上にわたるお菓子の研究についてお聞かせください。

物事の真説を知ることは非常に重要です。料理と菓子のことばかり追いかけて、若い頃から近世資料室に通い調べてきました。図案帳はうちにあったものや、方々に求めたり、貴重な資料を特別に拝見させていただいたりしました。菓子屋として特徴をいかに出すかをこうして探求してきたのです。

──道路拡張で失われそうだった茶室を移築されたそうですね。

縁あって引き受けた茶室を移築したのは、私が40代の頃。遊興もせず茶室等に注ぎました。調べてみたら由緒ある茶室で、そういう大事なものを失いたくなかったのです。当時は都市整備が進んでいました。便利になる反面、まちの様子が変わっていく。なんとかしなければと思いました。古いものを守りたくなるのは落雁屋の情けでしょうね。

落雁諸江屋「蓬莱庵」

諸江 吉太郎(もろえ きちたろう)
落雁 諸江屋 6代目当主。1936年石川県金沢市生まれ。