コレクション展

ソンエリュミエール - 物質・移動・時間

2012年4月28日(土) - 2012年11月4日(日)

光には闇があり、音には無音がある。それぞれは対概念ではなく、ひとつの事がもつ性質である。フランス語で「ソン(son)」は音、「リュミエール(lumière)」は光を意味する。「ソンエリュミエール」は、1952年にフランスで最初に開催されたイヴェントに由来し、以後、照明と音響効果を用いて史跡や有名建築を語る豪華なスペクタクルショーのことを指すようになった。太陽が沈んだ闇夜に人工光が輝き、音楽が流れ、名所の謂れが語られる光景は煌びやかで幻想的である。同時にその効果は表面的で場の固有性は光と音の華やかさに取って代わられ画一化されてしまう。

過剰な情報が氾濫し、莫大なエネルギーが消費される現在、私たちは機械計測的に刻まれる時間に束縛されて日々の生活を送っている。支配的制度としての時間から解放された時、私たちの知覚は変容し、見慣れた現象が新たなかたちをとって姿を現す。光の流れ、音の移動、月の満ち欠け、鉱物に流れる時間—有機的な時空間の中では、流れる時の方向は多様で、個々の経験は計り知れない多義性を帯びた旅となる。

本展覧会では、現代の美術家をそんな旅人と捉え、特に物質、移動、時間をキーワードに世界を見つめ直す。粟津潔、秋山陽、ヤン・ファーブル、ペーター・フィッシュリ ダヴィッド・ヴァイス、木村太陽、岸本清子、草間彌生、ゴードン・マッタ=クラーク、カールステン・ニコライ、ゲルハルト・リヒター、サイトウ・マコト、田嶋悦子、マグナス・ヴァリン、アンディ・ウォーホル——彼らは物質の性質と力を習得することによって、自己、イメージ、行為といった非物質的な存在に、物理的なかたちを与える。あるいはまた、物質に依ることで立ち現れる造形表現は、エネルギーの運動態として私たちの眼前にあらわれ、未知なる体験をもたらすとも言える。

ここに切り拓かれた思惟の宇宙を遊泳する旅はつかのまではかなくとも、またとない瞬間として確実に鑑賞者ひとりひとりに記憶されることだろう。

工芸未来派

2012年4月28日(土) - 2012年8月31日(金)

「工芸未来派」展は、工芸の“現在性”と“世界性”を問う企画展である。つまりこの企画は、工芸が今の表現であり世界共通の表現であるか、という疑問から生まれた展覧会である。

今日の工芸は、他の視覚メディアと同様にポストモダンな時代状況を生きている。アニメーション、マンガ、デザイン、現代アートと同様に、工芸は新たなイメージを紡ぎ出す今日の表現メディアなのである。
それは工芸独自の技法を用い、工芸独自の歴史観を参照しながらも、これまでの工芸とは明らかに異なったアプローチをしている。

例えば、工芸の視覚イメージは、これまでは遠く離れていたアニメーション、マンガ、デザイン、現代アート等と通底している。また、発表の仕方も作家それぞれの独自性を持ち異なっているが世界に向けたものである。このように、ある傾向の作品は大きくは同一の方向を持ち、今日の表現として世界に向けて発信している。

このような表現をとりあえずは、“新しい時代の工芸”“未来に向かう工芸”として、工芸の「未来派」と呼んでみたい。12名の作家による展示は工芸一色であるが、“ 今日のアート”として着目してほしい。

(本展キュレーター:金沢21世紀美術館長 秋元雄史)

Olive1982-2003 雑誌『オリーブ』のクリエイティビティ

2012年2月25日(土) - 2012年7月1日(日)

なぜ『オリーブ』 なの?

80年代から90年代にかけて少女時代を過ごした女性たちにとって雑誌『オリーブ』は、人気が高かったというだけでなく、特別な雑誌でした。かつてオリーブ少女と呼ばれた読者たちは、いま30代、40代となり、オリーブの感性がいまなお生活のなかに息づいています。ファッション誌でありカルチャー誌であった『オリーブ』の誌面には、心地良いライフスタイルの提案とクリエイティブな視点が存分に込められていました。本展覧会では、バックナンバーの分析と、『オリーブ』の制作に関わった人たちと読者たちの声を集め、『オリーブ』の本質に迫ります。そして、時代を代表する『オリーブ』という一雑誌から、「雑誌の時代」を検証するとともに、「現在」としての少女文化(ガーリッシュ・カルチャー)について考えていきます。

サイレント・エコー コレクション展 II

2011年9月17日(土) - 2012年4月8日(日)

「どうしたというのだろう?音楽はためらうように、うねりながらはじまった。散策か行進のように。夜の世界を歩む神のように。ミックの外の世界はにわかに凍りつき、音楽のあのすべり出しの部分だけが、胸の中で赤く燃えていた。そのあとの音楽は耳にもはいらず、彼女はただ拳を固く握りしめ、凍りついたようにすわったまま待ち受けていた。しばらくすると、音楽はふたたびはげしく、声高にうたいだした。もはや神とは何の関係もなかった。これこそミックであり、昼日中を歩むミック、夜をただひとり歩くミック・ ケリーだった。・・・この音楽は彼女であり、ほんとうの、ありのままのミック自身であった。」(1)

カーソン・マッカラーズの小説「心は孤独な狩人」で語られる音楽観、人と音楽の世界と深く共鳴し合うルクセンブルグ出身のツェ・スーメイの《エコー》《ヤドリギ楽譜》を軸として、「サイレント・エコー コレクション展II 」では、当館コレクションの潜在する未だ語られたことのない世界の展観を試みる。

《エコー》《ヤドリギ楽譜》で提示される、身体、音、技術、自己をとりまくあらゆる事象との関わりや融合から生み出される世界を根底に据え、こうした音楽観を出発点に、かたちが造形芸術である所以も同様に自 己、技術、対象の十全な融合によってこそ作り出される造形芸術の世界を紹介する。この試みは、「工芸的造形」という概念をめぐって近年展開されている視座を起点としている。「素材/自然/環境/他者に寄り添い、自らを物事の生成のプロセスに投げ入れ、親密な交流を図ることによって、固有の技術を見いだしつつ新しいかたちを生み出す造形及び造形行為」(2) という美術表現を評価する新しい眼差しに依り、ツェ・スーメイ、アニッシュ・カプーア、粟津潔、山崎つる子、久世建二、角永和夫による、自己、他者、素材といったあらゆるものとの対話の営みを検証する。 彼らの作品にみる静かな対話や共鳴の様相は、人がこの世界とどのように関わり、生きるかという人間の存在性について物語り、どんなに困難な時代においても新たな可能性、希望を我々に示し続けるだろう。

(1) カーソン・マッカラーズ、河野一郎訳『心は孤独な狩人』新潮社、1972年、pp147-148
(2) 不動美里「生成のプロセスの只中にあるもの」『オルタナティブ・パラダイス〜もうひとつの楽園』金沢21世紀美術館、2005年、pp.8-11。近年の工芸的造形論の展開については、村田大輔「ロン・ミュエック- 対話というかたち」(『ロン・ミュ エック』フォイル、2008年)、「反重力構造 ‒「歴史の歴史」というかたち」(『杉本博司 ‒ 歴史の歴史』新素材研究所、 2008年)、「“ニットカフェ・イン・マイルーム”というかたち」(『広瀬光治と西山美なコの“ニットカフェ・イン・マイルーム”』金沢21世紀美術館、2009年)、「What would Hiroshi Sugimoto Do? What would Museums do? Deified Artist and Museum Hiroshi Sugimoto’s“History of History”」(AAS-ISS Joint Conference,2011年、 https://www.asian-studies.org/Conference/index.htm)を参照されたい。