リアル・ユートピア〜無限の物語展
「わたしは一度だけ自分に空想を許しました。木の枝ではためいているビニールシートと、柵という海岸線に打ち上げられているごみのことを考えました。半ば目を閉じ、この場所こそ、子供の頃から失いつづけてきたすべてのものの打ち上げられる場所、と想像しました。いま、そこに立っています。」
―カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(土屋政雄訳)※

 日常と非日常の錯綜、人間の種のあり方が攪乱する現実、個人が均一化されそれを当然なものとして受け入れることを強制する社会、危機的な状況にありながら束の間の幸福感を希求する生活。このような世界の断片を日々経験しながらも、我々は人間の愛、友情といったヒューマニティ、直感的で感覚的なものを常に探求し、そこから手繰り寄せられるような「ここではないどこか」という未来的な理想郷を求めています。
 「リアル・ユートピア〜無限の物語」は、人間の認識の模様や我々が生きる世界を、多様な時間軸と空間軸が錯綜する流動的なものとしてとらえ、それらの諸相を物語る4人の作家とともに新たな世界を探求する展覧会です。人間による創造とリアリティの境界、さらには、その複雑な関係を探るイ・ブルの作品、生と死、自己と世界の関わりを無限の創造により探求する草間彌生の作品、強烈な社会批判と個という存在や表現のあり方をパフォーマンスや絵画をとおして体現した岸本清子の作品、独特の皮肉やユーモアを織り交ぜながら繊細な世界を構築する木村太陽の作品。彼らの作品世界は、個人の現実認識や創造の多様性、そしてその社会性や共同体との複雑な関わりを示唆し、また人間が、自身のルーツを探り、さらにはユートピア的な場所での自らのあり方を求めながら、「いま、ここ」を生き抜いている模様を描いています。これらの営みは、多様な時空を駈けめぐりながら、自身の存在をどのように世界に位置付けるかについての探求作業ともとらえられます。
 これらの作品において体験される、過去、現在、未来、そして現実と理想という様々な枠組みが解体されながら螺旋状に結びつく諸相や、その際限ない結びつきのプロセスのなかで無限に生み出される新しい世界像をとおして、本展は、我々が生きる世界についての再考を試みます。

※カズオ・イシグロ著、土屋政雄訳『わたしを離さないで』早川書房、2006年、p344