特別展示  「山崎つる子 連鎖する旋律」
 山崎つる子は、1954年に結成された「具体美術協会」の草創のメンバーであった。 「具体」のリーダーであった吉原治良が述べた「他人のやらないことをやれ」という「具体」の中心的思想となった前衛的な美術論は、 山崎の意識の中では、戦前とは決別する美術への志向という形で発展し、新しい素材、ハードエッジの探求へと繋がっていく。 染料を定着させたブリキ缶をランダムに配置する作品、凹凸をつけたブリキに照明をあて、 光やブリキの色彩や素材感を浮き彫りにする作品などを中心に前衛的表現を追究していくが、 その中でも特に《三面鏡ではない》(fig. 1)はこの時期の代表作である。1956年に制作された《三面鏡ではない》は現存せず、 出品作品は本展のために再制作された。高さ3.3メートル、幅6.6メートルまでつながれた作品は、ブリキ、染料、光、影の それぞれの物質感と相まって圧倒的な存在感を放つ。
 その後1950年代後半からは、特にカンヴァスを支持体とする作品を制作していく。 様々な幾何学的な形態と多様な色彩が山崎の深い思索により画面上に生命を与えられるこれらの作品群は、 混沌と共存、有限と無限といった概念をも示唆する。それぞれの色彩や形態は一つの一瞬の命でありながら、 混沌と存在し続け、無限に全体を支配する(fig.2)。1970年代後半からは、ゴリラ、犬、豚といったモチーフが 画面上に繰り返し展開される作品群が制作される(fig. 3)。モチーフの多くは大衆的なイメージを着想の源としている。 時として、ライオンとビールの商標といった唐突な組み合わせも行われる。 《浮世絵色地獄》(fig. 4)は本展のために再構成された新作である。浮世絵版画の絵はがきの上に多様な色彩のフォルムが施され、 1960年代を中心とする作品群の手法や大衆的なモチーフを扱った作品の延長線上の展開として捉えられる。同時に、 既存のイメージと山崎独自の色彩やフォルムとが自由自在に横断しながら互いに無限に関係性を持ち続ける特質は、 山崎の作品世界を最も雄弁に物語る縮図でもある。そして、近年のブリキを支持体とする《作品》(fig. 5) や《Title》(fig. 6)は、 色彩の交錯、形態の錯綜への山崎の恒常的な追求のみならず、常に新しい表現を具現化する確固たる力を感じさせる。
 鮮烈な染料が施された何枚ものブリキが連結され、不規則で予測不可能な光や影が錯綜する《三面鏡ではない》。 多様な染料がブリキに垂らされ色彩が交錯する《作品》。円、楕円、矩形といった幾何学的な形態が様々な色彩によって 混沌と存在する《無題》。浮世絵版画の絵はがきの上にカラフルなインクが施される《浮世絵色地獄》。 1950年代から現在に至る山崎つる子の全身全霊の静観の結実であるこれらの表現は、光、色、形、素材、モチーフといった それぞれの生命が互いに無限に連鎖を繰り返す世界である。一つ一つの生命は、多重旋律のごとく全体の構成要素でありながら 他の生命と結びつき、時に作品全体へと消失し、そして作品全体を支配する。このダイナミズムを常に伴う山崎の表現は、 ありとあらゆる既存との隔絶を意味し、時代を超えて新たな可能性を啓示し続けている。多様な色彩、素材、形態、モチーフといった それぞれの旋律が無限に連鎖し結びつく中で生み出されるイメージは、未知なる世界像を暗示しているといえるだろう。

fig.1《三面鏡ではない》1956/2007年

fig.2《作品》1963年

fig.3《Title(・・|・・)》1980年

fig.4《浮世絵色地獄》(部分)1986-2006年

fig.5《作品》2004年

fig.6《Title》2006年

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